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ゲームは何度も遊べる必要があるのか、から徒然なるままにインタラクティブな物語に関するあれこれ

隣のエントリで、物語を重視するゲームに replay value を付加する方法の記事を紹介しました。その際に、はたしてそもそも物語重視のゲームが何回も遊べる必要があるのか、という観点での議論はしませんでした。

この話はいろいろな要素を含む上、ごく個人的な見解となりますので、独立したエントリとしてダラダラと。

商売として

ややこしいことは最初に済ませておきます(笑)。

商売としては、中古市場対策という話が当然出てくるでしょう。一回遊んでおしまい、というゲームであれば、あっという間に中古に流れる、とエラい人が考えるのも当然です。

ここに注力するのであれば、何回も遊べるようにすることには意味があると思います。が、最近は、ネットで追加コンテンツを配信とか、続編のキーワードで隠し要素が出てくるとか、いろいろな手練手管がありますので、そちらの活用もぜひご検討いただきたい。

個人的な意見を言えば、小手先で対策しても売りたい人は売るんですし、「手放したくないと思ってもらえるゲームを作る」というのに注力するのが真っ当な勝負の仕方じゃないかなぁ、なんて思ったりも。青臭い話ですけれどね(苦笑)

ボリューム感

ユーザさんが感じるボリューム感の問題もあります。払った金額の分の時間は楽しませて欲しい、というわけですね。6800円で買ったソフトで68時間遊べれば、100円/時、というわけです。

本来20時間のボリュームしかないものを60時間保たせようと思ったら、収集要素を追加するか、話に分岐でも作っておくしかありません。replay value、大事ですよね。

ただ、エンタテインメントって、安い=良い、というわけではないと思うんです。90分の映画に1500円を払う学生さんが、なぜゲームには100円/時を求めるんでしょう。カラオケの時間単価だって結構なお値段ですよね。逆に、オンラインゲームを遊んでいれば、10円/時くらいのコストで遊び続けることだってできます。

一方で、時間のない社会人にとっては、逆にボリュームがありすぎることが、ゲーム離れに繋がっていました。社会人相手では、お金よりも可処分時間の奪い合いに勝たねばなりません。

時間の長短ではなく、代金に見合うと思ってもらえる体験を提供する。それが大事なことのように思います。

エージェントベースのインタラクティブストーリーテリング

interactive storytelling とか、interactive narrative と呼ばれる分野を研究している人々がいます。コンピュータの力で、物語の新しい世界が切り開かれるのだ!と信じている研究者たちです。

そういった研究の多くは、なぜかエージェント指向に向かっているようです。NPC がそれぞれ独立して振る舞い、それらの NPC とのインタラクションしていくことで動的な物語を生成する、というアプローチです。それこそが、仮想の世界で動的に物語を生成されるという、作家個人の知を超えるブレイクスルーとなりえるのだ、という主張です。ただ、研究の途上ですので当然ではありますが、なかなか人間が楽しめる物語を自由に生成するというところには到達できていません。

自然なテキストを作るのが難しいので、プレイヤーの解釈により形成されるストーリーを積極的に利用する、といったアプローチもあります。ガンパレードマーチなんかはまさにその実験作にして傑作ですよね。ガンバレはこの分野の研究者の皆さまにも好評のはずです。最近の GTA や OBLIVION なども、この分野にはいるかもしれません。

エージェント原理主義者の方々は、エージェントとのインタラクションで動的に生成される物語を目指しています。当然のことながら、繰り返し遊ぶことは全く問題ありません。

自分も、このアプローチも興味深いと思って注目はしています。が、個人的に追い求めているゲームにおけるインタラクティブな物語の姿はこれではありません。

自分の望むインタラクティブな物語

小さい頃から本で物語を読むことに慣れきってしまっている自分にとっては、よく練られたテキストの繋がりこそが物語であり、それは感情を揺さぶるものでなければなりません。仮想世界で隣人のものを盗むことにはそれほど興味がないのです。そういった点では、旧来型の物語媒体の延長としてのゲームを志向しているといってもいいと思います。

世に溢れる物語を陳腐だと切って捨てる人には、エージェントによる自動生成は、リアルで目新しく、魅力的かもしれません。しかし、そこには未だ練られたドラマを常に供給できるだけの安定性はないと考えています。

もちろん、技術のブレイクスルーが起こる可能性は常にありますし、打率の悪さは集合知を用いたアプローチなどで解決できるかもしれません。しかし、それでも自分は、物語には人のぬくもりが欲しいのです。伝えたいテーマと、それを表現するために試行錯誤する物書きさんが、物語の背後にはあって欲しいと願います。

ただ、一方で、ゲームは、ゲームならではの表現媒体であるべきだ、とも信じています。ゲームの本質はインタラクティブ性です。人の書いたインタラクティブな物語、それが、自分が追求しなくてはならない道なのです。

物語のインタラクティビティ

物語のインタラクティビティの目指すところは、いかにプレイヤーの心を揺さぶるか、ということに尽きます。ゲームの持つ強烈な疑似体験能力を使い、物語の世界にプレイヤーを引き込むのです。

インタラクティブな物語と、他メディアのリニア(線形)な物語の最大の違いは、プレイヤーの能動的な介入が必須かどうかです。映画は何も考えなくてもぼーっと見ていれば話は終わります。小説は、読み進めるという能動性は必要ですが、目に入るものを受け入れるだけで終わらせることもできます(そういう鑑賞法を推奨しているわけではありません)。しかし、インタラクティブに作られたゲームは、主人公の立場に立ち、状況を分析し、能動的に行動していかなければ、ハッピーエンドを迎えることはできません。この能動性が必要というのは、ゲームを遊ぶハードルを上げる原因でもありますが、ゲームを他の物語媒体と一線を画させる切り札でもあります。

プレイヤーが選択を間違えて主人公が失敗すると、それは主人公のミスではなく、プレイヤーのミスとして知覚されます。逆に、ぎりぎりの逆境を、プレイヤーが智恵を振り絞って切り抜けたとき、その達成感は主人公と共有するものとなります。これらの性質はゲーム一般で言えることではありますが、物語媒体としてゲームを見たときには、他メディアと比べて物語への没入度が高くできる、という利点となります。

なお、この効果を十全に発揮するには、選択を行ったときのプレイヤーの意思と、結果としてのキャラクターの行動がかみ合っている必要があります。入力と行動が直接リンクしているアクションゲームと異なり、物語重視のゲームはしばしば、選択と結果の因果関係がシンプルではない場合があるため、この点についてはシナリオライターが余程注意をしておく必要があります。が、実際には、あまり気を遣われていない気もします。

また、物語世界に対して、プレイヤーがユニークな影響を与えていることを示すことによって、物語が自分のものであるという感覚を与えるというテクニックもあります。これは、Using Low Level Stories でも触れられていました。物語世界に愛着を感じさせる効果があるでしょう。

似たテクニックとしては、選択を分析し、プレイヤーにとって居心地のいい、自己投影しやすい世界を提供するというのもあります。物語世界をプレイヤーに近づける、と言ってもよいかもしれません。

ちなみに、アドベンチャーゲームなどでは、繰り返しをベースに物語を発展させていくという手法もありますが、これらは分岐をインタラクティビティのために使うというよりも、形式化されたアドベンチャーゲームというジャンルで独自に発展した表現形式の1つととらえた方がよいでしょう。

ただ、従来のアドベンチャーゲームなどでは、残念ながら、上述のような効果を狙って作られたのではなく、単なるボリューム稼ぎのための選択肢というものも多くあります。それが、アドベンチャーゲームを、つまらないところで手間だけがかかる、ゲームとも言えないものだと、一部の人に思わせている原因かもしれません。

と、いろいろ脱線して書きましたが、言いたかったことは、ここで言及しているタイプのゲームにおいては、インタラクティビティはテーマを伝えるための道具であって、グランドフィナーレを迎え、テーマを表現し終えれば、ゲームとしてはそれ以上プレイする要素はなくなるのだ、ということです。

この種のゲームにおいて、何度も遊ぶ価値があるかというのは、他のメディアの物語を再び鑑賞する価値があるかいうことと同じ意味を持っていると考えるべきです。と、ここを書いていて、DVD のレンタル店の存在と、映画とゲームの資金調達体制の違いが脳裏によぎりましたが、まぁ、映画の DVD とゲームは簡単に比較することはできないんですよね。

なにはともあれ、全ての分岐を遊び尽くしたらゲームの価値が無くなる、というのは暴論です。小説や映画は一回見たら価値が無くなるのか、というのと同様に、手元に置いておいて、時々遊び直したくなるゲームを作ることは可能だと信じています(し、実際にそういうゲームはたくさん存在していると思っています)。

群像劇としてのマルチユーザストーリー

従来の物語媒体の延長としての(ただし、インタラクティブ性を生かした)ゲームに興味がある、と述べましたが、実はもう一つ興味がある分野があるので、ちょっとだけフォローしておきます。それは、機械がジェネレートした物語ではなく、たくさんのプレイヤーが参加して作り上げていく物語です。

現在の多くの MMO ゲームを物語の視点から考えると、いわば low level story だけを利用して、プレイヤーや、パーティー、ギルドといった個々の小さな物語を繋ぐことでゲームを成立させていることになります。それはそれで楽しんでいる人がたくさんいらっしゃるわけですが、これに high level story を加えつつ、high と low の間を埋める仕掛けをたくさん作ることで、群像劇としてのマルチプレイヤーのストーリーを成立させることができるかもしれません。それはきっとやりがいのある仕事でしょう。

この種のゲームは、リアルタイムにプレイが展開していくことになりますので、今回の話題である何度も遊ぶという概念からははみ出してしまっているわけですけれど。

このような deep なお話ができる相手を探しています!(笑)

なかなかここまで物語のインタラクティブ性について deep に話せる人が周りにいないので、今回のエントリではつい溜めていたものがちろっと溢れてしまいました。このエントリを読んで、もしもぴぴっと来たらご連絡ください(笑)いいコミュニティがあるという情報でも大歓迎です〜。

なお、ストーリーは(芸術としての=繰り返し鑑賞される)物語作品にとってはたいして重要ではない、といった主張に関する話はこちらのエントリで。